元ヤクルト監督 古田敦也の実家の家族構成
古田敦也さんは5人家族です
母親 古田康子さん
長男 古田長久さん
次男が古田敦也さん
長女 名前は不明
古田敦也の生い立ち
古田敦也の野球人生においての親の支えへの感謝
古田敦也さんは、柔道家だったお父様の英夫さんに
小学校の頃野球を勧められたそうです
めちゃくちゃ力の強かったお父様の言うことを聞かないとヤバい!と
思ったのが野球人生を歩むきっかけとなりました
今とあんまり変わらないけど、あどけない表情の古田敦也さんがいますね!
小学校時代のスタート時点から捕手をしてきた古田敦也さん
中学校時代から注目されるようになり、高校進学は私立からも誘いがありましたが
自宅に近い公立の兵庫県立川西明峰高校に進学しました
川西明峰高校は甲子園の予選でも1、2回戦敗退の無名校
ご家庭が金銭的に余裕がある方ではなかったことなどから、
大学は自宅から通うことが出来る大学を選び野球はきっぱりやめるつもりでいたそうです
そんな古田敦也さんに、名門立命館大学からの勧誘という一大転機が訪れました
監督が古田敦也さんの試合を見て「肩の強い子がいる」と目に留めてくれたそうです
両親に負担がかかることを心配した古田敦也さんは断ろうと思いましたが、
お母様の康子さんが「親として一生後悔する!もっと働くからがんばれ」と言ってくれたそうです
自分の為に頑張って働くお母様の姿を見ていたから
野球部のとても厳しい練習にも耐えることが出来たそうです!
古田敦也 今だから言える”メガネのお蔭で今がある”
大学4年の時には、ドラフト候補生とまで言われるようになった古田敦也さんですが
そのころの視力が受験勉強により0.1まで下がったことでメガネをかけざるを得なくなりました
ドラフト会議当日は大学はひな壇を設置し、垂れ幕まで用意されていましたが
どこからも指名はありませんでした
メガネということで「古田は鳥目だ」という真偽不明情報が流れ指名が見送られたそうです
当時はとてもショックで落ち込んでいた古田敦也さんをお母様はご自身も悔しかったと思いますが
「まだ若いのだから、諦めたらアカン」と励まされたそうです
そこでトヨタ自動車に入社し社会人野球で頑張った結果
2年後にヤクルトに指名され入団することが出来ました
それから古田敦也さんは「メガネの捕手は大成できない!」との言葉を覆したのでした
古田敦也さんは出演した【徹子の部屋】で
「トヨタ自動車に入社し、どれくらいの給料をもらい、どれくらいの人が関わり
物が出来上がるという社会の仕組みを勉強してプロに行くことが出来たので
それはとても良かったと思っています」
「もしあの時に、(指名をもらい)そのまま浮かれてプロ野球選手になっていたら
良い選手にはなっていなかったと思います」
「どこかで挫折して落ち込んでいたりしていたと思いますが
一旦社会に出ているので、そう簡単にくじけたりへこたれたりしてはいけないというのは
解っているので粘り強い選手になったと思っている」
と語られていました
過去の辛かった経験も優しそうな笑顔で話される古田敦也さんを拝見して
人生って残酷に思えることもあるけど無駄なことってないんだな!と感じました!
元ヤクルト監督の頭脳派!古田敦也”メガネのお蔭で今がある!”
生い立ちや実家の家族構成は?まとめ
父親 古田英夫さん(2014年6月5日永眠されました)享年81歳
母親 古田康子さん
長男 古田長久さん
次男が古田敦也さん
長女 名前は不明 ・「古田敦也さんの生い立ち」
小学校のころから親に喜んで貰うためにご飯をたくさん食べていた
父親の勧めで野球を始める
中学から有名になり高校は無名の公立高校に入る
立命館大からの勧誘で入学しドラフト確実といわれるほど有名選手になる
・「古田敦也 今だから言える”メガネのお蔭で今がある”」
メガネをかけていたことから指名がもらえずプロ野球に入団出来なかったことで
トヨタ自動車に入社し仕事をしながら社会人野球をする
一旦社会に出て社会の仕組みを勉強したことで簡単にはくじけたりへこたれない
粘り強さをみにつける