注目キーワード
  1. デザイン
  2. 表示速度
  3. SEO
  4. AMP
  5. PWA

元ヤクルト監督の頭脳派!古田敦也”メガネのお蔭で今がある!”生い立ちや実家の家族構成は?

日本野球界 伝説の捕手 古田敦也さん!
ヤクルト一筋で、選手、監督時代を終えた後も頭脳派捕手としての印象が深く残る
日本の野球界を牽引する存在です
今現在も野球解説やテレビ番組などで活躍されていらっしゃいます古田敦也さんですが
【徹子の部屋】で出演された際に両親のこと、自身の生い立ちから
プロ野球入団までのこと、メガネのことなどを語っておられました
そこで、元ヤクルト監督の頭脳派!古田敦也さんの生い立ちや実家の家族構成
そして、【徹子の部屋】で語られた古田敦也さんの入団までのエピソードについて
まとめましたのでご一緒にどうぞ

元ヤクルト監督 古田敦也の実家の家族構成

古田敦也さんは5人家族です

父親 古田英夫さん(2014年6月5日永眠されました)享年81歳
母親 古田康子さん
長男 古田長久さん
次男が古田敦也さん
長女 名前は不明
古田敦也さんにはご両親、お兄さんと妹がいます
ちなみに大木凡人さんとは”いとこ”だそうですよ(古田英夫さんと大木凡人の母が姉弟)
話が戻り、ご両親は共働きで帰りが遅くなることもしばしばありました
親からは食べたいものがあれば自分で作れるように教えられたそうです
その甲斐あって古田敦也さんは母親の帰宅が遅くなる時には、自分で料理を作って
妹さんと一緒にご飯を食べることもあり、小学校時代から包丁を握っているような
親思い、妹思いの優しい素敵なお兄さんだったのです!

古田敦也の生い立ち

こちらは古田敦也さんのFacebookに投稿されたお写真
可愛い乳幼児期のころ!お母様にそっくりですね!
古田敦也さんのお母様の康子さんは身長が150㎝と小柄だったことで
古田敦也さんに大きく成長してほしい!との思いで
とにかくたくさん食べさせるようにしていたそうです!
たくさん食べると母が喜んで褒めてくれるので「”喜んでもらいたくて”たくさん食べていた」
と古田敦也さんは語っておられました

古田敦也の野球人生においての親の支えへの感謝

古田敦也さんは、柔道家だったお父様の英夫さんに

小学校の頃野球を勧められたそうです

めちゃくちゃ力の強かったお父様の言うことを聞かないとヤバい!と

思ったのが野球人生を歩むきっかけとなりました

今とあんまり変わらないけど、あどけない表情の古田敦也さんがいますね!

小学校時代のスタート時点から捕手をしてきた古田敦也さん

中学校時代から注目されるようになり、高校進学は私立からも誘いがありましたが

自宅に近い公立の兵庫県立川西明峰高校に進学しました

川西明峰高校は甲子園の予選でも1、2回戦敗退の無名校

ご家庭が金銭的に余裕がある方ではなかったことなどから、

大学は自宅から通うことが出来る大学を選び野球はきっぱりやめるつもりでいたそうです

そんな古田敦也さんに、名門立命館大学からの勧誘という一大転機が訪れました

監督が古田敦也さんの試合を見て「肩の強い子がいる」と目に留めてくれたそうです

両親に負担がかかることを心配した古田敦也さんは断ろうと思いましたが、

お母様の康子さんが「親として一生後悔する!もっと働くからがんばれ」と言ってくれたそうです

自分の為に頑張って働くお母様の姿を見ていたから

野球部のとても厳しい練習にも耐えることが出来たそうです!

 


古田敦也 今だから言える”メガネのお蔭で今がある”

出典:oricon.co.jp

 

大学4年の時には、ドラフト候補生とまで言われるようになった古田敦也さんですが

そのころの視力が受験勉強により0.1まで下がったことでメガネをかけざるを得なくなりました

ドラフト会議当日は大学はひな壇を設置し、垂れ幕まで用意されていましたが

どこからも指名はありませんでした

メガネということで「古田は鳥目だ」という真偽不明情報が流れ指名が見送られたそうです

当時はとてもショックで落ち込んでいた古田敦也さんをお母様はご自身も悔しかったと思いますが

「まだ若いのだから、諦めたらアカン」と励まされたそうです

そこでトヨタ自動車に入社し社会人野球で頑張った結果

2年後にヤクルトに指名され入団することが出来ました

それから古田敦也さんは「メガネの捕手は大成できない!」との言葉を覆したのでした

古田敦也さんは出演した【徹子の部屋】で

「トヨタ自動車に入社し、どれくらいの給料をもらい、どれくらいの人が関わり

物が出来上がるという社会の仕組みを勉強してプロに行くことが出来たので

それはとても良かったと思っています」

「もしあの時に、(指名をもらい)そのまま浮かれてプロ野球選手になっていたら

良い選手にはなっていなかったと思います」

「どこかで挫折して落ち込んでいたりしていたと思いますが

一旦社会に出ているので、そう簡単にくじけたりへこたれたりしてはいけないというのは

解っているので粘り強い選手になったと思っている」

と語られていました

 

過去の辛かった経験も優しそうな笑顔で話される古田敦也さんを拝見して
人生って残酷に思えることもあるけど無駄なことってないんだな!と感じました!

 


元ヤクルト監督の頭脳派!古田敦也”メガネのお蔭で今がある!”
生い立ちや実家の家族構成は?まとめ

今回は、元ヤクルト監督の頭脳派!古田敦也さんの生い立ちや実家の家族構成
そして、【徹子の部屋】で語られた古田敦也さんの入団までのエピソードについて
まとめました
・「古田敦也さんの家族構成」
父親 古田英夫さん(2014年6月5日永眠されました)享年81歳
母親 古田康子さん
長男 古田長久さん
次男が古田敦也さん
長女 名前は不明

・「古田敦也さんの生い立ち」
小学校のころから親に喜んで貰うためにご飯をたくさん食べていた
父親の勧めで野球を始める
中学から有名になり高校は無名の公立高校に入る
立命館大からの勧誘で入学しドラフト確実といわれるほど有名選手になる

・「古田敦也 今だから言える”メガネのお蔭で今がある”」
メガネをかけていたことから指名がもらえずプロ野球に入団出来なかったことで
トヨタ自動車に入社し仕事をしながら社会人野球をする
一旦社会に出て社会の仕組みを勉強したことで簡単にはくじけたりへこたれない
粘り強さをみにつける

頭脳派古田敦也さんのことを調べていくと彼の凄さを理解するには
物凄い時間がかかるんだとおもいました
それだけ、野球界で果たした物が大きいのだと感じました
とても魅力的な古田敦也さん!いつまでも奥様の中井美穂さんと仲良く
また、日本の野球界を牽引してくださりますよう応援しています!
最後までお読みいただきありがとうございました。